スポンサーリンク

  相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人を殺害した罪などに問われた植松聖被告の裁判で、本日植松聖氏に対し検察の求刑通り死刑が言い渡されました。今回はこの件に対しての筆者の考えなどをまとめました。

死刑は当然か…

 注目を集めた植松聖氏への判決当日、横浜地裁には傍聴券を求める人が殺到しました。倍率は100倍を超えたとか…

 で、注目の判決でしたが大方の予想通り主文後回しのあとに死刑判決が言い渡されました。主な内容としては以下の通りです。

  • 争点は犯行時における被告人の責任能力の有無及び程度。
    • 検察官は、植松氏がパーソナリティ障害及び大麻使用障害・大麻中毒であったが、本件犯行時に於いて大麻使用の影響は小さく、完全責任能力を有していたと主張
    • 弁護人は、本件犯行時に於いて植松氏は心神喪失の状態にあった、少なくともその疑いが残るとして無罪を主張
  • 裁判所は以下の点から完全責任能力を有していたと結論。
    • 今回の犯行は、計画的に行われたものであり、動機も著しく外れているものとは言えない
    • 違法性の認識に問題があったという点も、事件前に手紙を官邸に届けていること・その内容と事件後に警察へ自首している点から考えられない
  • 19名もの人命が奪われたという結果は他の事例と比較できないほど甚だしく重大、殺人未遂にとどまった24名についても傷害の程度に軽重はあるものの、相当な生命の危険に晒された結果は重大である。
  • 犯行についても職員が少ない夜間を狙い、 大勢の利用者を殺害するために必要な複数の刃物や職員を拘束するために必要な結束バンドを事前に用意し、夜勤職員の身体を拘束して通報等を防ぎつつ、抵抗困難な利用者を次々と明確な殺意の下に於いて包丁等で胸や背中、首を刺した。犯行の悪質性は甚だしい
  • 犯行動機についても精神障害等の影響があったとは認められず、動機の形成過程を踏まえても酌量の余地は全くなく、厳しい非難は免れない
  • 犯行時26歳と若く、前科なし等をできる限り考慮し、罪刑の均衡や公平性の観点から慎重に検討したが、死刑は免れない。

植松氏の主張は理解できなくもない

 植松氏の主張はいろいろとありましたが、主な部分を搔い摘んでいくと以下の通りです。

  • 障がい者も人間なら普通の人と同等に裁かれるはず
  • 意思疎通だけなら犬や猫でもできる、意思疎通の取れない障がい者は動物以下である
  • 重度障害者は周りに不幸を振りまくだけだから安楽死させるべきである
  • 氏名が公表されず遺影もない追悼式は、彼らが人間として扱われていない証拠
  • 能力のない者を養う余裕は今の日本社会にはない
  • 私は介護施設で、数年間現場で働いてきた。 彼らが家族や周囲に与える苦しみ、そして使われる膨大な費用、職員が置かれている過酷な労働環境を見てきた。
  • なぜ、施設に足を運んだことすら無いのに、理想論をさも正論のように述べることができるのか。あなた方は一度でも介護に携わったことがあるか?少しでも現場を知れば、介護は綺麗事だけでは無いことがわかるはずだ。

 並べてみましたが、確かに納得できる内容ではありますね。特に知的障害者や精神障害者が障害を理由に裁かれない、賠償責任も負わないというのは確かに理不尽ではないかと感じています。

 そして、「能力のない者を養う余裕は今の日本社会にはない」という主張も日本社会を会社に置き換えてみると、まさに正論ではないかと思ってしまいます。最近、リストラ多いですよね?

障害を理由に裁かれない理不尽

h4 9 1 01 - 植松聖氏への死刑判決に対して思うこと
引用: 平成30年版 犯罪白書 第4編/第9章/第1節

 精神障害者の犯罪率が異様に高いというのもデータで示されています。これによると、殺人事件のうち13.4%、放火はなんと18.7%が精神障害者によるものです。 日本の精神障害者が4%程度であることを考えれば、これは異常に高い数字であると言えます。

 普通の人よりもはるかに殺人や放火をする危険性がある人たちを野放しにして、彼らが犯罪をしても無罪というのではたまったものではありません。 例えて言うなら人間社会のなかに虎や熊を放し飼いにしているようなものでしょう…

 さらに恐ろしいことに知的障害者は賠償能力の欠如から免罪され、(監督義務者である)両親に対しても賠償責任がないと司法が判断した恐ろしい判例が昨年夏に大分地裁でありました。 障害者とかかわったことで生じる損害に関しては泣き寝入りするしかないという、恐ろしい判決です。

 はっきり言って、障害者とかかわりあいにならないという消極的な方法でしか災厄を回避できませんね。他人に危害を及ぼす可能性の高い精神障害者や知的障害者には最低限GPSの埋め込みを義務化し、回避できる手段を(今のまま障害者を野放しにするならば)行政は提供すべきでしょう。

安楽死合法化を目指すべきだった

 植松氏の言っていることは確かに理に適ってはいますが、実行の方法に殺人という手段をとったのは悪手でした。

 障害者を安楽死させるというのであれば、国会議員になって安楽死を合法化する法律を作ればよかったわけです。そうなれば、数十年後には障害者は安楽死させるのが当たり前という世の中を実現できたことでしょう。

 さらに、障害者を安楽死させることが一般的になれば現在介護に携わっている方々の負担も軽減でき、無駄に税金を垂れ流すことも無くなります。まさにいいことづくめではないでしょうか?

遺族の発言に拭えない薄っぺらさ

 一方、遺族の発言も色々と取り上げられていますが、どうも薄っぺらい感じを受けるんですよね。

 そんな大事な娘さんならやまゆり園なんかに預けず自分で面倒を見たらよかったんじゃないですか?これは他の親御さんにも同じことが言えるんですよね。面倒なお子様をやまゆり園に放り出して、ようやく亡くなってくれたかと本当は思っているのでしょう。

 さらに事件の被害者ではありませんが、 和光大学名誉教授・最首悟さんの娘さんで重い障害があるという星子さんの顔を見てみてください。何のナレーションもなくこの映像を見せられたら、気持ちの悪い化け物という印象しか持ちませんよね。重度障害者にはこういう気持ち悪い方が多いというのもまた事実です。(あくまでも個人の感想です。差別的意図はありませんので悪しからず。)

 親族の方々の悲しみというのは多少の悲しみはあってもホッとしていたり、すぐ切り替えられたりぐらいのレベルでしかないのではないですか? この事件で心底悲しんでる人間は多分居ないでしょう。(ご遺族の方で違うと仰られる方が居るのであればコメントください。訂正いたします。)

司法も障害者には価値がないと認めている!

1403px Yokohama District Court 1024x788 - 植松聖氏への死刑判決に対して思うこと
引用:横浜地裁

  障害を持っている人が事故などで亡くなった場合、賠償金の算出の根拠になる逸失利益は0円と算出されている判例が非常に多いです。

 司法の世界では障害者は働けないと判断され、それによって逸失利益は0円と算出される。これは、司法が「障害者に生きている価値がない」と認めているようなものなんですね。植松氏を非難している方々はこの事実を見てどう思われますか?

重大事件の裁判はテレビ中継すべきでは?

 今回の事件の裁判など、重大事件や注目を集める裁判についてはテレビ中継してもよいと思うのですがどうなんでしょうか?地上波が無理なら、Youtubeとかでも良いので…

 最も、地上波のテレビでも判決確定時に速報テロップを流したのみ、唯一BS1はニュース特番で「相模原殺傷判決」関連として報道していました。やっぱりこういうところは安定のNHKといったところでしょうか。民放にとっては視聴率の取れない、価値のない障害者のことなんかどうでもいいということかもしれませんが…

元号が変われば常識も変わる

 まあ、元号が変われば常識も変わります。平成の時代は人の死で笑いや人気を取りに行くことはタブーとされていましたが、令和の時代になってからはそれも少しづつ変わっています。

 もう少しすれば、人の死で笑いや人気を取りに行ってもネタとして面白ければ許される。そんな時代になるのではないでしょうか。

最後に

 欧米先進国では、過剰で超長期的な救命・延命措置を回復・向上の見込みがない患者・障害者・痴呆/認知症・寝たきり老人には施しません。

 欧米先進国の納税者はカネの使われ方にとてもシビアです。国家財政が破綻してでも、植物人間や凶暴で危険な障害者に、高度な医療を以て延命措置を続けるべきとでもいうのでしょうか?ここら辺のコスト感覚は欧米先進国に一刻も早く追いつく必要があるでしょう。

 また、植松氏はどのような判決が出ても控訴はしないと言っているため、この判決で裁判は終結する可能性が高いです。植松氏の理論をきちんと論理的に否定しない限りは、第二第三の植松が出ても不思議ではないでしょう。実際、ネット上では彼の行為を称賛する意見が目立っています

 なお、コメント欄については荒れることが予想されるため予め閉鎖させていただきます。どうしてもコメントが欲しい方は、本名と所属を名乗ってからコメントをお願いいたします。ただし、コメントをいつ返すかを確約するものではありませんのでその点ご了承ください。