運行が続けられてきたことでんのレトロ電車ですが、来春以降順次引退することが発表されました。
引退の理由は?
レトロ電車とは?
ことでんの動態保存車のことで、何十年もの間走り続けてきた大変貴重な車両です。1両づつ紹介します。
20形電車
1925年川崎造船所製で、近畿日本鉄道南大阪線の前身である大阪鉄道が新造した車両です。1961年に譲受し、翌1962年に使用開始されました。琴平線で使用を開始した後、1975年から83年にかけて志度線と琴平線の転属を繰り返しました。その後、1994年より志度線専属となり、主にラッシュ時の増結運用に充当されるようになりました。
2006年9月に長尾線所属の600形が800番台に改造の上増結用として志度線に転属したことで引退するかと思われましたが、23のみは志度線全車冷房化後も動態保存予定車となることが決定し、現在に至るまで動態保存が続けられてきました。
しかし、老朽化には勝てず。ついに来年のゴールデンウィークイベント後の引退・廃車が発表されました。記録は最優先で行った方がよいでしょうね。
5000形電車
5000形電車は 1928年加藤車輛で製造され、片運転台の制御客車として500・510・520の3両が製造されました。
1953年に国鉄から譲渡された制御車の2000形と6000形の入線により、両運転台の制御電動客車に改造されています。台車は営団地下鉄から譲り受けたものを使用し、パンタグラフは高松寄りに取りつけられました。このとき 尾灯は両端の窓上に1灯ずつとなりました。
琴平線で主に増結用として使用され、1976年に510は長尾線に転属。残る2両は琴平線と長尾線の転属を繰り返しましたが、1985年に1070形の導入により520は廃車となり、後に500は長尾線の専属となりました。510は1998年に 700形の導入で廃車となりました。
500は営業用車両では最後まで旧標準色であるピンク+アイボリーの塗色で残っていましたが、2007年2月のイベント後に茶色+アイボリーの旧形車色に変更されました。検査出場後はイベント用として動態保存されており、高松築港寄りの前面に着脱可能なヘッドマーク取り付け用のステーが装着されています。なお、来年のシルバーウィークイベント後の引退・廃車が発表されています。
3000形電車
1926年に日本車輛で製造。両運転台の制御電動客車で、琴平電鉄の開業に際し300・315・325・335・345の5両が製造された。
1961年、 志度線に転属する。1966年~1967年には更新工事を受けるが、この時に315のみ乗務員室の拡張が行われ、窓配置が左右点対称に変更された。1976年以降は長尾線でも共用されるようになり、前面貫通扉および客用扉の変更が実施されました。1983年には、琴平線から転属した17m級制御車の牽引のため主電動機の増強と台車の振替えが335と345に対して実施されました。
1994年の志度線分断以降は、300・315・325が長尾線所属、335・345は志度線所属となりました。 その後、600形・700形の増備により、1999年10月に345が、2006年10月には325が、2007年8月に315がそれぞれ廃車解体されました。 335は2006年12月に営業運転を終了し、以降は道の駅源平の里むれに静態保存されています。
300は2003年に両端の戸袋窓を製造当初の丸窓に復元しており、長尾線の車両大型化・全面冷房化以降もイベント用として動態保存されています。再来年のゴールデンウイークのイベント後に引退、作業車・撮影用として保存される模様です。
1000形電車
1926年に汽車会社で製造。両運転台の制御電動客車で、琴平電鉄開業にあたり、100・110・120・130・140の5両が製造されました。
15m級の半鋼製車で前面は丸妻の貫通式となっています。ノーヘッダ、段なしウィンドウシルで、窓の上隅が大きな曲線になっていること、前面裾も隅が曲線になっている点、電装品にドイツのAEG製のものを使用していることが大きな特徴となっています。その後、 1966~1967年に実施された大規模な更新工事により、客用窓のアルミサッシ化、戸袋窓は全てHゴム支持の矩形に改められ、前面の尾灯は移設の上2灯に増設されました。また、床下のトラス棒は撤去され、屋上の水雷型ベンチレータは小さな筒型のものになり、パンタグラフは琴平寄りに変更されました。
その後、琴平線に1020形などの18m級大型車が増備されたことで、1972年に100・120・140が、1976年には110・130がそれぞれ志度線に転属し、1976年以降は長尾線でも使用されていましたが、1976年8月の列車同士の正面衝突事故を起こしたことで、110と140が廃車となっています。なお、1988年に鉄道友の会よりエバーグリーン賞を受賞しました。
残る3両は、前面貫通扉および客用扉の変更、前照灯のシールドビーム化などが実施され、1994年の志度線分断以降は、全車長尾線の所属に。その後、600形・700形の導入で、1998年に130が、1999年に100が廃車され、残った120は主に朝ラッシュ時の増結用となりました。
2007年7月末に行われた長尾線の車両大型化・全面冷房化以降は動態保存車となり、以降は3形式ともサボ受けが撤去され、過去に使用されていた引掛式の行先標を使用しています。なお、3形式とも2007年5月12日に産業考古学会より推薦産業遺産に指定され、2009年2月6日には経済産業省より近代化産業遺産に認定されています。
なお、 再来年のゴールデンウイークのイベント後に引退、 廃車となる模様です。
レトロ電車の運転日・時刻は?
レトロ電車は毎月一回(ゴールデンウィークなどはこの限りではない)定期的に運行されています。今後の運転日、車両編成は以下の通りです。
運行日 | 車両編成 |
2019年6月16日(日) | (築港側) 120号-23号(琴平側) |
2019年7月14日(日) | (築港側) 500号-23号(琴平側) |
2019年8月11日(日) | (築港側) 120号-500号(琴平側) |
2019年9月15日(日) | (築港側) 300号-23号(琴平側) |
2019年10月13日(日) | (築港側) 500号-120号(琴平側) |
2019年11月24日(日) | (築港側) 120号-23号(琴平側) |
2019年12月22日(日) | (築港側)500号-300号(琴平側) |
2020年1月12日(日) | (築港側) 120号-500号(琴平側) |
2020年2月23日(日) | (築港側 )23号-300号(琴平側) |
2020年3月22日(日) | (築港側) 120号-300号(琴平側) |
なお、運行時刻は以下の通りです。
まとめ
90年以上も走り続けた車両もあるということで、まずはお疲れさまといいたいですね。引退する最後の日まで、事故なく無事に運行を終えることを願っております。
撮影や乗車する方々も、いい写真を撮りたい、いい環境で音の収録をしたいという人も多いでしょうが、どうかトラブルの無いようにお願いします。
5/7追記:ことでんのフリーきっぷの紹介や既存車両の置き換えについての考察については「ことでんのフリーきっぷ紹介など」をご覧ください。