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 1992~97年にかけて営団日比谷線の運用を退いた3000系が長野電鉄へ譲渡され2両編成が3500系、3両編成が3600系として活躍を続けてきました。

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 しかし、老朽化に伴い東急8500系の譲渡で徐々に勢力を縮小し、残る編成も東京メトロ03系の譲渡により2022年までに引退することが決定しました。今回はそんな3500系の歴史を振り返っていきたいと思います。

日比谷線開業時に登場

迷列車でいこう東京メトロ編 第2回 あすは我が身?3000系

 3000系は日比谷線の開業に伴い誕生しました。本形式は営団地下鉄で初めて相互乗り入れを行うことから、東武鉄道・東京急行電鉄との3事業者で規格を協議の上で設計・製造が行われました。

 また、本形式より2両を1ユニットとし、増結時には中間車を増備する形式を採用しました。バーニア制御と発電ブレーキが採用され、滑らかな高加減速性能(起動加速度・減速度ともに4.0km/h/s)を実現しています。保安装置に日本の鉄道で初めてATCを採用した事も大きな特徴です。

 18m3ドア車・セミステンレス車として登場し、1961年に日比谷線開業に向けてまず2両編成8本が登場。その後も日比谷線の延伸に伴い1971年まで順調に増備され最終的に8両編成38本の陣容となっています。

営団3000系
引用:3000系

 1962年5月から東武伊勢崎線と、1964年8月に全線開通した後は東急東横線と直通運転を行うようになりましたが、相互乗り入れ先の東急形ATSと東武形ATSの両方を搭載した編成は9本しかなく、東急形ATSのみ搭載した編成が7本、東武形ATSのみ搭載した編成が22本となっており、運用もグループ別に分けられていました。

 なお、後にC修工事として床舗装修理や座席モケット・側窓カーテン戸・通風器絶縁台修理、つり革取り替えを簡易修繕工事として実施、1976年以降は初期車に対してはB修工事として車体・台枠・屋根・化粧板や床敷物交換、側出入口修理、側扉交換に伴い側扉窓の小形化などの大規模修繕工事が実施されています。B修工事については03系への置き換えが行われる1988年度まで実施されています。

 また、この間台車や電動発電機・空気圧縮機の交換も行われています。

日本初のATO運転導入

 特筆すべきこととして、日本初のATOが導入されたことも挙げられます。1962年2月以降試運転列車での試験が続けられたのち、1964年9月から営業列車でのATO運転も始められました。1970年以降はATO区間が全線に拡大し、3035編成と3073編成により営業列車における長期実用試験が実施されることとなり、1993年まで続けられました。

 試験結果は良好でしたが、当時は様々な問題があり本採用までには至りませんでした。

 日比谷線でATO運転が再び行われるのは、13000系と東武70000系まで待たなければなりませんでした。

03系投入で置き換え

03系
引用:03系

 しかし、初期車に関しては製造から20年以上が経過し、老朽化していることは否めませんでした。1988年に営団地下鉄が車両冷房化を決定したことで、日比谷線でも後継車03系の製造が開始され、廃車が進んでいきます。

3000系 さよなら運転
引用:3000系

 03系の増備とともに朝夕のラッシュ時の運用が中心となっていき、1994年7月23日にさよなら運転を実施。日比谷線での営業運転を終了しました。なお、営業終了時には先頭車にクジラのシールを大きく貼付すると共に、側面上部に文字ステッカーが貼り付けられています。

長野電鉄へ譲渡、主力として活躍

3500系
引用:3500系

 03系により置き換えが行われていたそのころ、長野電鉄では在来車の老朽化に悩まされており、3000系を短編成化して投入する事となります。最終的に2両編成14本と3両編成3本、部品取り用車両2両が譲渡され、長野電鉄の車両近代化に大きく貢献しました。なお、譲渡に際しては気候等を考慮して以下の改造が行われています。

  • 耐雪ブレーキの新設
  • 急勾配が連続する信州中野~湯田中間にも入線できるようにするため、主回路の主抵抗器容量の増大
  • 側扉の半自動化とレールヒーターの新設
  • 運転室前面下梁の強化
  • 列車無線の交換
  • 2両編成の内6本は木島線用での車内運賃収受用に、運転台後部にバス用の運賃箱と運賃表示器を設置→後に全編成に施工
  • 車体の窓上下に赤帯が入れ、社章は長野電鉄のものへ交換
  • 2001年以降、非冷房車の内3両編成と2両編成6本に冷房装置の搭載を行うため、営団5000系電車の廃車発生品のSIVを電源装置として搭載

東急8500系譲渡で廃車開始

8500系
引用:8500系

しかし、2002年に木島線の廃線で非冷房車のうち一部が離脱、2005年に東急8500系が短編成化の上譲渡されると3500系・3600系の廃車も始まりました。

 なお、8500系は長野電鉄では初の運転台にワンハンドル式主幹制御器を装備する界磁チョッパ制御車で、加えてLED式行先表示器、車内案内表示器(千鳥配置)、ドアチャイム、車椅子スペースが設置され、旅客サービスが大幅に向上しています。車体も20m車・4ドアで従来車に比べ定員数が増加しています。

 その後、2009年までに3両編成6本が増備されました。2011年までにさらに3本の譲渡が行われる予定でしたが、8500系のインドネシア譲渡により中止となっています。なお、何らかの理由で勾配用の抑速ブレーキ装備が見送られたため、急勾配が連続する信州中野~湯田中間は入線不可となっています。これにより、3500系・3600系は信州中野~湯田中間を中心に運用されることとなりました。

東京メトロ03系譲渡で命運尽きる

長野電鉄 3000系

 しかし、製造から50年以上が経過し、老朽化が進んでいることから、東京メトロ03系を3両編成に短編成化の上で5本を導入することが発表されます。これにより、2022年までに3500系・3600系が引退することが決まりました。

 なお、長野電鉄では3000系と命名され今年のゴールデンウィークに運行を開始する予定でしたが、コロナ禍の影響で運行開始時期は未定となっています。

最後に

 日比谷線で運行を開始し、03系に置き換えられた後も長野電鉄へ譲渡され、20年以上長野電鉄で乗客を黙々と運び続けてきました。その最後が日比谷線を追い出された03系によって再び置き換えられることになるとは何とも皮肉な話ですね。

 なお、置き換えまでまだ時間がありますので、急いで撮影や乗車をしに行って新型コロナウイルスに感染したなんてことがないようにお願い致します…

 5/7追記:早速撮り鉄が長野を訪れ、死亡事故を起こしてしまった模様ですね。緊急事態宣言が発令されているというのに、一体何をやっているのでしょうか(呆)

 このアホの情報が入り次第、別記事で晒していきたいと思います。