日本最後の6ドア車として細々と中央総武線で運行されていたE231系0番台ですが、本日B80編成とB82編成が同時に離脱してひっそりと運行を終了しました。今回は6ドア車の歴史を振り返るとともに、なぜラストランなしで運行終了に至ったのか?背景や反応などをまとめました。
6ドア車の歴史
6ドア車の始まりは1990年3月ダイヤ改正で山手線を走る205系のうち1編成(ヤテ42編成)の2・9号車に連結されたことが始まりです。サハ204形の先行試作車として901・902の番号が割り当てられ、 閑散時の選択開閉機能(6ドアすべて開扉・6か所中4か所のみ開扉を選択)や立席定員を増やすための座席の収納機能が採用されました。
なお、この収納座席は車掌が運転席より自動で座席をロックし、座席が利用可能となる時間以降に車掌がロックを解除する仕組みとなっていました。車掌がロックを解除すると座席端部に設置したランプが点灯し、乗客が手動で引き出して座席の使用が可能になります。なお、座席の収納は車両基地で行うようになっており、イタズラ防止のため手動ではできないようになっていました。
試験結果は良好だったようで、後に山手線だけではなく中央総武線や京浜東北線、横浜線でも採用されています。205系の転属に伴い、埼京線・りんかい線でも運用されました。
また、私鉄でも混雑が激しい東急田園都市線の5000系に導入されました。
ホームドア設置の障害となり…
しかし、安全対策のためのホームドア設置が行われるようになると、6ドア車が障害となってしまいました。また、6ドア車の混在する路線では整列乗車が乱れてしまうことで、苦情もたびたび寄せられていました。
こうした事情から、混雑緩和が年々進んでいることなどを踏まえ6ドア車の置き換えが順次行われていきます。中には製造からわずか5年で用途を失い廃車となってしまった車両もありました…
最後の6ドア車が運行終了…
中央総武線も例外ではなく、山手線からのE231系500番台転属などで次第に数を減らしていきました。座席の収納に関しては、昨年3月のダイヤ改正で終了しています。
そして、今年のダイヤ改正前日の3/13を以て最後の6ドア車組み込み編成として活躍していたB80・B82編成が離脱し、6ドア車の歴史に幕を下ろすこととなりました。
ラストラン告知もイベントも無し
E231系6ドア車はさよならイベントもラストランの告知も無しでひっそりと運行を終了しました。黙々と人々の通勤通学を支えてきた車両としてこういう終わり方もありなのかな?とも思いますが、どうなんでしょうか?
ラストランの告知をしてヘッドマークをつけた山手線E231系は線路内立ち入りをした悪質な撮り鉄の影響で山手線だけではなくほかの路線にも遅延などの影響が出ましたし、中央総武線でもそういう事態が起きる可能性があった(遅延が発生すると乗り入れ先の東京メトロ東西線や東葉高速鉄道にも影響が出る)からラストランの告知などを見送った…という可能性は高そうです。
実際東京メトロは6000系のラストランで相当酷い目に遭ったことで懲りたらしく、03系の運行終了時にはラストランのイベント等特別行事は一切行いませんでした。JR東日本も武蔵野線205系など運行終了が近いものがありますが、これらもラストランの告知などは一切行われない可能性が高いでしょう。
まあ、悪質な(一部の)鉄道ファンというのは知能がサル以下のようですし、仕方ないのかもしれません。自分たちの行いが原因で現在のこのような事態を招いていると気づくのはいつの事になるのでしょうか…
インドネシアで活躍続く
なお、205系は後継のE233系などに置き換えられましたが、インドネシア(KRLジャボタベック)へ譲渡された編成が存在します。6ドア車が編成から抜かれることもなく編成ごと譲渡されていますので、インドネシアへ行けばまだまだ元気に走っている205系6ドア車の姿を見ることが可能です。
時間とお金はかかりますが、興味のある方はインドネシアまで行ってみてはいかがでしょうか?ただし、新型コロナウイルスの影響で渡航制限や航空便の運航が休止されている可能性もありますので、最新の情報を確認するようにして下さい。