遂に一つの時代が終わりを迎えましたね。巨人終身名誉監督となっていた長嶋茂雄氏ですが、病には勝てず6/3早朝に肺炎の影響で亡くなりました。今回は「ミスタープロ野球」の愛称で親しまれた長嶋茂雄氏の輝かしい経歴やネット上の反応をまとめました!
巨人終身名誉監督・長嶋茂雄氏、肺炎で死去!
長嶋茂雄氏の輝かしい経歴
長嶋茂雄さんは、「ミスタープロ野球」として国民的な人気を博した日本のプロ野球選手、監督であり、読売巨人軍の終身名誉監督です。その輝かしい経歴を以下にまとめます。
生い立ちとアマチュア時代
- 1936年2月20日:千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市臼井)に生まれる。
- 幼少期から野球に親しみ、東急フライヤーズの大下弘や大阪タイガースの藤村富美男に憧れる。
- 佐倉一高:野球部で活躍し、その才能は全国に知られるようになる。
- 立教大学:野球部に入学し、「神宮の星」と称される活躍を見せる。東京六大学野球では首位打者2回、通算本塁打記録を更新する8本塁打を記録するなど、大学野球界のスーパースターとなる。
プロ野球選手時代(読売ジャイアンツ 1958年 – 1974年)
- 1957年12月:読売巨人軍と契約。
- 1958年:巨人軍に入団。新人ながら本塁打王、打点王の2冠を獲得し、新人王に輝く。
- V9時代を牽引:巨人の黄金時代であるV9(1965年~1973年)において、チームの中心選手として活躍。その劇的な打撃とスピード感あふれる守備でファンを魅了した。
- 主な成績・タイトル
- 通算2186試合出場
- 打率.305
- 2471安打
- 444本塁打
- 1522打点
- 首位打者:6回(1959年~1961年、1963年、1966年、1971年)※セ・リーグ記録
- 本塁打王:2回(1958年、1961年)
- 打点王:5回(1958年、1963年、1968年~1970年)
- 最多安打:10回(1958年~1963年、1966年、1968年~1969年、1971年)※プロ野球記録、セ・リーグ記録
- 最優秀選手(MVP):5回(1961年、1963年、1966年、1968年、1971年)
- ベストナイン(三塁手):17回(1958年~1974年)※プロ野球記録、セ・リーグ記録
- ゴールデングラブ賞:2回(1972年、1973年)
- 新人王:1回(1958年)
- 1974年10月14日:「わが巨人軍は永久に不滅です」という名言を残し、現役を引退。
監督時代(読売ジャイアンツ)
長嶋茂雄さんは、監督として2度の政権を率いました。
- 第一次政権(1975年 – 1980年)
- 現役引退の翌年、巨人の監督に就任。
- 1976年、1977年にセ・リーグ優勝。
- 第二次政権(1993年 – 2001年)
- 「メークドラマ」と称された1996年の大逆転優勝など、ファンを魅了する采配を見せた。
- セ・リーグ優勝:5回(1994年、1996年、2000年など)
- 日本一:2回(1994年、2000年)
- 特に2000年の日本シリーズでは、王貞治監督率いる福岡ダイエーホークスとの「ON対決」を制し、日本一に輝いた。
監督引退後
- 2001年:監督を勇退し、巨人の終身名誉監督に就任。
- 2003年:アテネオリンピック野球日本代表監督に就任するも、脳梗塞で倒れ辞任。
- 2013年:愛弟子の松井秀喜氏と共に国民栄誉賞を受賞。表彰式では、松井氏が投げたボールを打ち返そうとする姿が話題となった。
- 2020年:東京オリンピックの開会式で聖火ランナーを務めた。
その他の功績・栄誉
- 野球殿堂入り:1988年(競技者表彰)。
- 「ミスタープロ野球」として、野球界のみならず日本のスポーツ界に多大な影響を与え続けた。
- 常にファンを意識した「見せる野球」を追求し、多くの人々に夢と感動を与えた。
長嶋茂雄さんは、その類まれな野球センスと、人並外れたカリスマ性で、野球ファンのみならず、多くの人々に愛され続けた伝説的な人物です。
ネット上の反応は?
権藤博さんはかつて「王(貞治)はそんなに苦手にしてた思いは無かったが、長嶋には良く打たれた」と言われてました。権藤さんが、「権藤権藤、雨権藤」で35勝して活躍した時は、王さんはまだ一本足にする前で成績が不安定な時でしたが、長嶋さんは当時から絶好調で、巨人の中で一人打撃で気を吐いていました。
その権藤さんが新人の時の1961年は、権藤さんの活躍もあって途中までは中日優勝の可能性がありましたが、あの頃は各球団自由獲得の時代で、巨人が8月になって関大を中退させて村瀬投手を獲得し、9月以降、彼の活躍もあって巨人が逆転して優勝しました。
権藤さんと言えば、同じ鳥栖出身で長嶋と名勝負をした元大洋・阪神の権藤正利投手もつい最近亡くなられましたね。権藤さんもお体に気を付けていつまでもお元気でいて下さい・・
引用:権藤博氏が長嶋さん悼む「普通だったら総理大臣がコメントを出すことない。本当の巨星落つです」
大きな星が寿命を終えて、新しい星を作るべく旅立ちました。野球と言うスポーツを認識できる年齢になった時から長嶋さんはいましたV9時代は勝つのが当たり前であまり応援しなくなりましたが長嶋さんも引退され監督になり新しいジャイアンツの野球を観ました。
また色々なエピソードもありつながりのあった方々が長嶋さんの話をする時「私は長嶋さんのこんなことを知ってるんだ」というむしろ得意気にしているのを感じて、ほほえましく思いました。
これからは天から見守ってくれますね。長嶋さんに届くようジャイアンツ選手諸君ホームランをどかどか打って優勝してください。長嶋さんゆっくり休んでください。
引用:長嶋一茂氏 父・茂雄さんの死去でコメント「長嶋茂雄は野球の星に帰りました」「父にとって野球は人生そのものであり、最愛の存在でした」【全文】
人の死って突然来るものなんですね。つい数日前にあった時は元気だったのに肺炎を患い人工呼吸器を付けられその効果もなくあっけなく逝ってしまう。あの昭和の大スター長嶋茂雄にもこんな日が来てしまうとは…
現役を知っている世代ではなく監督時代から知った人間です。初めてプロ野球を見に行ったのは長嶋監督の率いる巨人が神宮で戦う試合でした。それ以来長嶋さんのあの人間性、キャラクターに惹かれるようになりました。
なんと言っても誰よりも野球を、巨人を愛してやまない人だったと思います。そして誰からも愛され好かれていた人だったともっと思います。これで一つの何かが終わってしまったな、ととても残念で寂しく感じています。長嶋さん、心よりご冥福をお祈りいたします。ゆっくりなさってください
引用:長嶋さんの遺体が無言の帰宅 一茂氏、三奈さんが深々と頭を下げる 盟友・王貞治氏が弔問
先日亡くなった父に当時野球のルールをあまり知らずに応援しとった長嶋さんが監督時代の巨人︎今日の訃報、ホンマに悲しい気持ちでいっぱいになりました…( ߹ㅁ߹)
色んな方々が弔問やお悔やみコメントを発表されとる中で選手として活躍をされとったのは自分の世代ではないので初めて知ったことが数多くあったんやけど、自分の中ではナイター中継が延長されながら大差の首位球団とのマジックに追いつきリーグ優勝をされた時も勇気を貰い、その当時後番組でOAされる予定やった人気ドラマを見たさにずっと待ちながらビールかけを楽しむ選手達におめでとうの気持ちでいっぱいになったのを今でも覚えており、懐かしく感じます。
病気で闘病をされながらも東京オリンピックの開会式に参加され、色々トレーニング(リハビリ)をされとる映像を見て涙が出ました。娘さんの誕生日が命日になるのもとても辛い気持ちも痛みが実は分かるので、ご家族の方も
引用:「長嶋さんが止めてくれなかったらもしかしたら違う形に」…FA宣言も巨人に残留した元エース「ひるおび」で長嶋茂雄さんに感謝「僕にとって恩師」
改めて思うけど、長嶋さんの存在は大きかったなと思う。国民的スターと呼ばれる人は何人か居たけど、印象に残る人は長嶋さんだけ。
プロ野球、巨人は、国民的なスポーツであり、みんながラジオやTVを付けて熱狂出来るコンテンツで、アイドル的な存在でしたね。私は、現役時代は生まれてなかったが、監督時代に何度も東京ドームへ観戦に行きました。当時は、斎藤、桑田、槙原の三本柱を始め、松井、落合などがいた頃です。
今は、野球を全く観なくなったけど、今でもあの時の巨人のワクワクした気持ちは覚えています。やはり一番印象に残った試合は、10.8
引用:東京タワーが長嶋茂雄さんに感謝と哀悼の意を込め消灯 昭和33年「デビュー」の同期、背番号3、333m
現役でプレーする姿を見た世代は魅了されたのでしょうし、メディアもこぞってスターとして扱ったのでしょう。時代が生んだスターというのは確かなんだよね。
でも、現役時代を知らない自分としては、いろんなおかしなエピソードも「天才だから」と無理矢理こじつけて神格化する風潮は冷めてみてる。
決定的だったのは、数十年前だけど日テレの女子アナウンサーが「挨拶する時にお尻を触ってくるんです。でも、いやらしいとかではなくて・・・」と長嶋さんのエピソードを話した時。女子アナ自身が必死にフォローしてたけど、長嶋さんを悪者にしてはいけないという見えざる力を感じて嫌悪感をもった。
引用:東京タワーが長嶋茂雄さんに感謝と哀悼の意を込め消灯 昭和33年「デビュー」の同期、背番号3、333m
日本プロ野球の歴史には幾つかの節目があるが、長嶋さんが亡くなったことで文字通り一つの時代が終わった。プロ野球よりも大学野球の方が人気があった時代、長嶋さんが六大学のスーパースターとして巨人に入団したことで日本プロ野球が国民的スポーツとして発展した。
その礎があって日本人選手がMLBで活躍する時代がやってきた。山本浩二、衣笠祥雄、星野仙一、田淵幸一、有藤通世、落合博満、掛布雅之、原辰徳、広澤克実、清原和博ら、70年代から90年代にかけて活躍した殆どのスター選手が長嶋茂雄という存在に憧れてプロ入りを目指したという。
イチローや大谷、そしてどんな未来のスーパースターが現れても、長嶋さん、そして王さんの歴史的位置付けは変わらない。選手としての絶対能力とは別次元の存在。長い間お疲れ様でした。ありがとうございます。
引用:【速報】長嶋茂雄さんが死去(89) プロ野球巨人軍終身名誉監督
ヤクルトファンです。かつて野村監督の同い年のライバルとして凌ぎを削った方だったので、これまで対戦相手としてのイメージが強かったですが、最近名選手の成績や選手としての特徴を調べる中で、純粋に長嶋さんの現役時代の選手としての魅力を感じるようになっていました。
セ・リーグ最多6回の首位打者、史上最多10回の最多安打を記録した稀代のヒットメーカーであり、三振が少なく悪球でもバットに当ててヒットにしてしまう打棒は相手チームからは相当な脅威だったと思います。打点も高くチャンスに強いバッターで、本当に華のある魅力的な選手で、ミスタープロ野球と言われ国民的なスターであったことが良く分かります。
病気で倒れてからのリハビリは大変だったと思いますが、歩いて観戦などされるまでに回復された精神力の強さはさすがだったと思います。偉大な野球人が亡くなられることは大変残念ですが心よりご冥福をお祈りします。
引用:長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が死去、89歳…巨人の黄金時代築いた「ミスタープロ野球」
亡くなって寧ろ良かったのでは?
まあ、確かに巨人の終身名誉監督になるくらい素晴らしい方だったのでしょうが、最近の巨人は弱体化が進んでいますからね。「勝つのが当たり前」だった時代からしたら目を覆いたくなるようなレベルです。
近年ですと、2019・2020年は日本シリーズに進出したもののソフトバンク相手に2年連続で4連敗を喫する屈辱を味わいました。
この他にも2021・2022年は2年連続のレギュラーシーズン負け越しや2022・2023年の2年連続Bクラスなどまさに負の歴史を作る一方。これ以上巨人が弱くなっていく様を見ずにあの世に行けたのは幸せだったのではないでしょうか?
それに、これは人生という名の学びの場からの「卒業」なんですよ。祝わなくてどうするんですか?卒業式なのに悲しみばかりでは浮かばれないんじゃないでしょうか?ということで、卒業式の定番「蛍の光」を流しましょう。ご斉唱お願い致します。
最後までご覧いただき、ありがとうございました!
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