いや~これがあるからこそのブログですよね。今年2月からローマの病院に入院し、肺炎などの治療を受けていたフランシスコ教皇ですが、歳には勝てなかったのか4/21に亡くなったことが明らかになりました。88歳での大往生となったわけですが、次の教皇はどのように選ばれるのか、ネット上の反応はどうだったのでしょうか?
遂に亡くなった第266代ローマ教皇
ローマ教皇庁は21日、フランシスコ教皇が死去したと発表しました。88歳でした。フランシスコ教皇は2月14日からイタリアの首都ローマの病院に入院し、肺炎などの治療を受けていました。
退院後は少しずつ公務を再開し、20日にはバチカンのサンピエトロ広場でおこなわれた復活祭のミサに姿を見せ、パレスチナ自治区ガザ地区などに言及して世界平和を願うメッセージを発信していました。
2013年に史上初の南米出身の教皇として即位したフランシスコ教皇は貧困層の支援や環境問題に尽力し、対話を重視する姿勢が世界的に評価されてきました。
引用:【速報】フランシスコ教皇死去…88歳 ローマ教皇庁が発表
いや~遂にこの日が来ましたね。今年2月からローマの病院に入院し、肺炎などの治療を受けていたフランシスコ教皇ですが、歳には勝てなかったのか4/21に亡くなったことが明らかになりました。果たして今後はどうなるのでしょうか?
フランシスコ教皇の経歴
フランシスコ教皇(本名:ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ)は、1936年12月17日、南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで、イタリア移民の家庭に生まれました。彼の両親はイタリア・ピエモンテ州から移住してきた労働者階級の出身であり、戦争と不況の影響を受けながら新天地で生活を築いていました。この時代のアルゼンチンは、ヨーロッパからの移民が急増し、文化・経済ともに大きく発展する一方で、社会格差や政治不安も抱える複雑な国でした。
若い頃のベルゴリオは、化学技師として働きながらも、深い信仰心と社会への関心を持ち続けていました。20代の頃、重い病気を患った経験もあり、それが彼の人生観と信仰心をさらに強めるきっかけとなります。その後、彼はイエズス会(カトリックの修道会のひとつ)に入会します。イエズス会は教育と宣教活動を重視し、特に貧困層や社会の周縁にいる人々への奉仕に力を入れることで知られています。
1969年に司祭に叙階されたベルゴリオは、教育者として神学校の学長を務めるなど指導的立場を歴任しました。この時代のアルゼンチンは、1976年から1983年までの軍事独裁政権下にあり、政治的抑圧と「汚い戦争(La Guerra Sucia)」と呼ばれる国家による弾圧が行われ、多くの市民が行方不明となる暗黒の時代を迎えていました。ベルゴリオ自身もこの困難な時代の中で、教会の役割と信仰の意義について深く考え続け、信仰と良心に基づく行動を模索していたとされています。
1998年にはブエノスアイレス大司教に就任。アルゼンチン国内で貧困層への支援や社会的弱者の権利保護に尽力し、質素な生活を貫く姿勢も多くの市民の共感を呼びました。2001年には教皇ヨハネ・パウロ2世により枢機卿に任命され、国際的にもその存在感を高めていきます。
2013年、前教皇ベネディクト16世が高齢と健康上の理由から退位を表明し、ローマ教皇選出会議(コンクラーヴェ)が開催されます。そこでベルゴリオ枢機卿は、第266代ローマ教皇に選出されました。史上初の南米出身教皇、そしてイエズス会士の教皇という歴史的な出来事でした。彼は「フランシスコ」という教皇名を選び、これは清貧と平和を重んじ、貧しい人々と共に生きたアッシジの聖フランチェスコに由来します。
即位以来、フランシスコ教皇はカトリック教会の保守的な伝統を尊重しつつも、現代社会の課題に寄り添う姿勢を打ち出しています。貧困、難民問題、環境破壊、気候変動、宗教間対話、性的マイノリティへの配慮など、これまで教会が慎重だった問題にも積極的に取り組み、時に物議を醸しながらも世界に向けた発言を続けています。
2015年には環境回勅『ラウダート・シ』を発表し、現代の環境危機に対するカトリック教会としての姿勢を明確にし、大きな反響を呼びました。また、イスラム教・ユダヤ教との宗教間対話にも力を入れ、中東やアフリカを訪問し、和解と平和を訴える行動を続けていましたが、今年2月にローマ市内の病院に入院し、4/21に88歳で亡くなりました。
次の教皇はどう選出する?
ネット上の反応は?
素晴らしい教皇様でした。持ち直されてあるいは快癒に向かうかとも思ったのですがお亡くなりになられたとは残念です。
両肺の機能が著しく低下したとはさぞやおくるしかったことと思います。南米から初の教皇として様々なご苦労があったかと思います。本当にご苦労様でございました。
こういう時、西洋的にはRIPなんだろうけど、このお方はいずれ聖人に認定されるだろうし、我々よりも神様に近い場所に行かれるだろうから我々俗人に言われなくてもRIPであろうと思ったが、しかしながら天国から人類のだめっぷりを神様と一緒に苦々しい思いで見ることになるだろうということで、ひょっとしたら全然RIPではない天国生活だろう。
引用:ローマ教皇フランシスコが死去 88歳、寛容貫き米政権批判
私が応募した年の立教大の職員募集要領には、キリスト教教育に理解ある者という選考要件が掲げられていた。大学では少しだけラテン語を学びましたが、仕事上必要な中南米、アフリカ出身者とのコミュニケーションに大きく役立っている。手間や成績から考えたら、望外の成果だ。
新約聖書はラテン語、ギリシャ語で書かれ、世界に広まった。言葉を初め、キリスト教が覆った世界(全世界、ではない)にどれだけの力を及ぼしているかは、計り知れない。医学用語も、かなりラテン語が残っている。ラテン語、キリスト教は、聖書で密接に繋がっている。私はキリシタンではありませんが、この二つを媒にして、世界との距離がグーンと縮まるのを実感した。
その最も古い歴史を継ぐ組織の長のありようは、大きな影響を世界に与えるはず。勿論十全とは言えないけど、この方を超える方を次の教皇に迎えるのは、至難だと思います。土、汝の上に軽かれ。
引用:ローマ教皇フランシスコが死去 88歳、寛容貫き米政権批判
フランシスコ教皇が逝去されると注目されるのが聖マラキの予言です。聖マラキは12世紀の聖職者でフランシスコ教皇までの111人の歴代教皇の特徴を予言し、その予言は成就しました。
問題なのはフランシスコ教皇の後で「ローマびとペトロ(フランシスコ教皇のこと)、彼は様々な苦難の中で羊たちを司牧するだろう。そして、7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。終わり。」という不気味な予言をしていることです。
7つ丘の街とはバチカンを指しているという説が有力で、この先カトリックに何が起こるのか注視したいと思います。
引用:ローマ教皇フランシスコが死去 88歳、寛容貫き米政権批判
アルゼンチン出身、即ち南米出身として初めて選ばれた教皇フランシスコ。バチカンでは性的虐待問題などに深く斬り込んでこられるなど、カトリックの闇の部分を改めようと精力的に動かれてたようで、この後に行われるコンクラーベで選ばれる新しい教皇にもその改革の意思を継いでもらいたいものだと思ってます。
その次期教皇の候補には就けばアフリカ出身として1500年振り(というか1500年前にいたんですね…)となるタークソン枢機卿や、アジア人教皇となるフィリピンのタグレ枢機卿などの名前が挙がっていて、さらに新しい風がバチカンに吹くのか、コンクラーベの結果を注視していきたいと思います。
引用:【速報】ローマ教皇フランシスコ(88)死去 呼吸器の感染症や肺炎の治療のため2月中旬から入院…前日にはサンピエトロ広場に姿も
復活祭のミサで挨拶をされたあと病室に戻られて、その後静かに息を引き取られたようですね。復活祭の映像ではいかにも弱っておられた様子でしたが、本当に最後の力を振り絞ってミサに出席されたのですね。
ご自分の立場を理解されて職を全うされました。一般的に自分の最期は選べないけど、この方はご自分で納得された最期だったように感じます。カトリック教会は色々と批判が絶えませんが、フランシスコローマ教皇は改善に向けて努力を続けてこられたと思います。ご冥福をお祈りいたします。
初めて南米出身者としても教皇なられて大変地位名誉や社会的認知も上げた功労者だと思います。また少年から死んだお父さんの事を聞かれて今はお空にいて見守っているよと耳元で優しく言っていたのが印象的でとても民主主義を重んじた方なのだと思いました。
引用:【速報】ローマ教皇フランシスコ(88)死去 呼吸器の感染症や肺炎の治療のため2月中旬から入院…前日にはサンピエトロ広場に姿も
自分は離れクリスチャンです。カソリックはかなり儀式などを重んじるのと、底辺からトップ(法王)まで△の身分がありますが、プロテスタントでは一般信者と牧師に身分差はなく同等の立場。聖書ではキリスト以外を先生と呼んではいけないと書かれてます。キリスト以外は皆平等です。
プロテスタントも洗礼や聖餐式などに型にはまってる部分はある。洗礼とか異言の語りなどに身分差があってはおかしいです。その点、”無教会”は献金がない。建物教会がない。儀式にとらわれない。職業牧師がいないなど、理想に近いキリスト教会の姿だと思います。
お金は集まらないからビジネスにはならないせいでしょうか?普及していないのが残念。教会に行くから救われるのではなく、キリストを信じ、罪を懺悔することが重要。人間の先生は、時に罪を犯し裏切ります。神父牧師を鵜呑みにすべて従うのは注意が必要。聖書(神そしてキリスト)に照らし合わせることです。
引用:【速報】ローマ教皇フランシスコ(88)死去 呼吸器の感染症や肺炎の治療のため2月中旬から入院…前日にはサンピエトロ広場に姿も
バチカン内部の守旧派と戦いを繰り広げていた改革派の教皇フランシスコが亡くなった。フランシスコは中国では共産党の「軍門」に下った。バチカンの持つ司教任命権を共産党に譲り渡し、いまでは当局が認めた者だけが司教となることができる。本来、宗教を認めない共産党支配下の中国国内において、細々と存続する地下教会のメンバーは大きく失望したという。
中国での布教を公然と行うことができるように、また地下信者の安全を守るために取引したという見方もあるようだが、中国で新たに膨大な数の信者を獲得することによって、バチカンでの自らの立場を守ることも必要だったとも言われている。
こうした現実路線を採用したフランシスコだが、次の教皇がどのような路線を選択するのか、あるいは揺り戻しが起こるのか。これはキリスト教だけの問題ではなく、今後の世界情勢に大きく影響する。コンクラーベに臨む枢機卿たちの判断を見守りたい。
引用:【速報】ローマ教皇フランシスコ(88)死去 呼吸器の感染症や肺炎の治療のため2月中旬から入院…前日にはサンピエトロ広場に姿も
フランシスコ教皇の聖職者としてのほとんどの期間は、アルゼンチンで過ごされている。そこでは特に貧しい地区での活動にご尽力されて来た。スラム街で人身売買の被害者や低賃金の労働者のために支援を行って来た事が知られている。その後、中南米出身者、イエズス会からも初めてのローマ教皇に就任された。
「フランシスコ」という名は、イタリアの「アッシジの聖フランシスコ」から来ている。小鳥に説教した、海を渡ったなど数々の伝説が伝えられている聖人です。亡くなられた教皇は、アッシジの聖フランシスコを模範とされていた。
日本とも縁が深かったお方です。日本のミサに出席されたり、袴田巌さんに手紙とロザリオを送られている。安らかな眠りをお祈り申し上げます。
引用:ローマ教皇死去 カトリック史上初の南米出身 核廃絶に注力訴え
日本に住んでると正直ピンとこないかもしれないけど、ローマ教皇って本当に世界的に影響力のある存在なんだよね。特にフランシスコ教皇は、初の南米出身でイエズス会出身っていう異例の経歴もあって、カトリックだけじゃなく広く世界中の人たちから注目されてた人。
たとえばサッカー好きの一面も有名で、メッシと会ったこともあるし、イタリアのセリエAの試合が教皇の訃報で延期になるって、もうその影響力の大きさを物語ってると思う。
宗教的な背景が違う日本では、なかなかこの重さって伝わりづらいけど、「天皇陛下と首相とオリンピック選手を全部足して影響力3倍にした人が亡くなった」くらいのことが起きたって考えると、少しは伝わるんじゃないかな。
引用:フランシスコ教皇の逝去を受け、セリエAの4試合が中止に…日程は未定
次期教皇は誰になるのか?今後に期待!
果たして次期教皇は果たして誰になるのか?アジア人・黒人で初の教皇選出はあるのか今後に期待したいところです!ということで、最後に黙とうをささげたいと思います。黙祷(Ω\ζ°)チーン)
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