いや~皇族も老いには勝てなかったようですね。容体の悪化が伝えられていた三笠宮妃百合子殿下ですが、昨日遂に薨去されました。101歳での大往生ということで当ブログでは心からお祝い申し上げるとともにネット上反応を見ていきます。
死因は何と「老衰」…
容体が悪化していた三笠宮妃百合子さまが、老衰のため、けさ逝去されました。皇室最高齢の101歳でした。
午前9時半ごろ、百合子さまのご遺体をのせた車が、入院先だった「聖路加国際病院」を出発し、赤坂御用地にゆっくりと入っていきました。宮内庁は百合子さまについて、今朝6時32分に逝去されたと発表し、会見を行いました。永井皇室医務主管によりますと、百合子さまの死因は老衰で、今週に入り、声かけに目をあける時間が減り、徐々に全身の機能が低下していたということです。
百合子さまは今年3月から、脳梗塞の症状と誤嚥性肺炎などのため入院されていて、今月7日の検査では心臓や腎臓など全身の機能の低下が明らかになっていました。その後、宮内庁は、意識が低下している状態が続き、全身の機能の低下も進みつつあると発表していました。病院には今朝から孫の彬子さまらが訪れていて、百合子さまに寄り添われていたものとみられます。きょうは、天皇皇后両陛下をはじめ皇族方が三笠宮邸を訪れ、弔問されます。
引用:三笠宮妃百合子さま(101)逝去 死因は“老衰” 今週声かけに目あける時間減り徐々に全身の機能低下
いや~皇族の方でも老いには勝てなかったようですね。容体の悪化が伝えられていた三笠宮妃百合子殿下ですが、昨日遂に薨去されました。注目された死因ですが、何と「老衰」。これではどんな医療技術があってもどうしようもないですね…
三笠宮妃百合子殿下の経歴
三笠宮妃百合子殿下は、長い人生を通じて日本の皇室に多大な貢献をされました。彼女の経歴を詳しく見ていきましょう。
基本情報
- 生年月日: 1923年6月4日
- 出身: 貴族院議員の高木正得子爵夫妻の次女
- 結婚: 1941年10月22日、三笠宮崇仁親王と結婚
学歴と結婚
- 学歴: 女子学習院を卒業
- 結婚の経緯: 結婚当初、百合子さまは18歳で、三笠宮さまは26歳でした。結婚は当時の日本において大きな注目を集めました。彼女は結婚について「驚くご縁だった」と振り返っています。
戦中・戦後の生活
- 戦争の影響: 結婚後すぐに太平洋戦争が始まり、生活は困難を極めました。1945年5月には、空襲により三笠宮邸が全焼し、百合子さまは当時1歳の長女と共に防空壕で避難生活を余儀なくされました。
- 戦後の支援: 戦後、三笠宮さまは歴史研究に専念し、百合子さまはその活動を支えました。彼女は、三笠宮さまの講義の文章を整えるなど、学問の面でも貢献しました。
公務と社会貢献
- 社会事業への尽力: 百合子さまは母子保健などの社会事業に積極的に関与し、特に愛育会の活動に力を入れました。彼女は名誉総裁として多くの人々を励まし、心温まる人柄で知られていました。
- 子育て: 彼女は5人の子供を育て上げ、家庭を支える重要な役割を果たしました。
最後の時期
- 逝去: 2024年11月15日、百合子さまは101歳で亡くなられました。彼女は明治以降の皇族で最高齢であり、その生涯を通じて多くの人々に影響を与えました。
三笠宮妃百合子殿下は、戦争を乗り越え、家族や社会に対して深い愛情を持ち続けた方でした。彼女の生涯は、日本の歴史の中で重要な一ページを刻んでいます。彼女の存在は、今後も多くの人々に記憶され続けることでしょう。
ネット上の反応は?
一人の人間として言わせてもらうと。常に日常管理されて、有名な医師が付き切り、最先端な医療をしてもらえる環境。金を湯水のごとく使えて、食事も管理されながらも贅沢な物を食している。それでも101歳が限界なのか。
よく、人生100年時代が来ると言われているけど道は遠いのかな。とりあえず、認知症を抑制していければそれなりに近くなると思う。後は延命治療の考え方が変わると・・これはお金の問題も含めて考えると無理かもしれない。
引用:【速報】三笠宮妃百合子さま ご逝去 皇室最高齢の101歳~宮内庁
rrzさんが言うように、薨去としているのは宮内庁と産経ぐらいです。桂宮様や高円宮様の検索もしましたが、多くは「逝去」でした。そこをとやかく言われたくない報道機関は「亡くなられた」で通しているみたいです。
文字の定義や事典的なページでは「薨去」を親王、妃殿下なら用います。一方で、生活の中における報道としては、自国他国問わず「薨去」は皇太子相当の方に用いるのが定着しつつあるようであり、単純な「薨去」の定義よりも一段格が上がるのだと思われます。当然、トップの王族、皇族となれば崩御です。そこは変えようがありません。
服部幸應さんの幸応表記について先日コメント欄が荒れておりましたが、これについても報道は原則新字体というのが潮流です。定義としての文字と報道における文字にはギャップがあることを知っておけばいいと思います。
引用:【速報】三笠宮妃百合子さま ご逝去 皇室最高齢の101歳~宮内庁
三笠宮百合子さまは、戦争のことや皇族としての役割についてずっと真摯に考え、実践してこられた方でした。特に戦争のご経験から、「戦争の悲惨さを二度と繰り返さないように」という強いメッセージをずっと訴えてこられました。
戦争に対して自分に何ができるかを真剣に考えつづけてこられたその姿勢は、若い世代にも尊敬されているし、そういう信念を持ち続けたことが、今の日本が平和を大切にする国であり続ける上では欠かせなかったと思います。
皇族の存在意義が改めて問われる中で、三笠宮百合子さまのような存在が、これからも次の世代に引き継がれていくことを願っています。
引用:三笠宮妃百合子さま逝去 101歳 皇室最高齢、宮家を支え
まさに激動の人生であったと思う。河内丹南藩の藩主の孫として生まれ生まれ年には関東大震災、8歳で満州事変、14歳の頃に日中戦争、18で太平洋戦争とご婚約、22で終戦、ご自身のお子様を見送り、日本の戦争へ突入していく様や終戦後の日本の復興から経済成長をその目で見てこられた。戦後元年で生まれた方でももう80歳になるという事は戦前からご存命な方は本当に少数になってしまっている。
皇室の方とはいえ貴重な日本の生き字引を失った事は痛手。戦争についてや皇族の役割について常にお考えがあり実践されてきた方とお聞きしました。今もまだ戦火が世界のどこかでありますけど百合子さまの「戦争の悲惨さを二度と繰り返さないでほしい」というお言葉はまさに未来永劫世界中の命題として語り継いでいかなければなりませんね。謹んで哀悼の意を表します。
引用:三笠宮妃百合子さま逝去 101歳 皇室最高齢、宮家を支え
夫である三笠宮殿下は、非常にユニークで面白い方でした。戦前は、身分を隠して陸軍少佐として現地に派遣されて司令部で働いたり、終戦時には陸軍大臣・阿南惟幾大将を説得して終戦への道筋を作るなど、重要な役割を果たされました。
戦後はエジプト史や古代オリエント史の歴史学者として活動し、「神武天皇の即位は史実ではなく神話」と語るなど、皇族としては異例の率直さで知られる、自由で柔軟なお人柄でした。
百合子妃殿下は、そんな自由奔放で知的な三笠宮殿下を温かく支え、お二人は大変仲の良いご夫婦だったそうです。百合子妃殿下が今頃、三笠宮殿下との再会を喜ばれていることを心から願っております。
引用:【速報】三笠宮妃百合子さま逝去で石破首相が謹話「心から哀悼の意を表する」
「日本のいちばん長い日」(2015年)の本木さんの昭和天皇は本当に素晴らしかった。他の方がやる話が変わりオファーがあって。その他の人物と訳が違う。陛下のお振舞いを記憶している人もいる。義母の希林さんが肩を押して下さって引き受けたと以前お話しでした。
そして、何年経っても絶対言われるのですよね。こんな重大な役をなんで顔でジャニタレに?と。昭和天皇という、国体そのものとして苦渋の決断を下し、宮中周囲も動乱状態の中、国を担って終戦の現実に向かっていくそのお姿は映画を貫く主題にも重なり。結果として、陛下のお姿もお言葉もわかってても、こうだったろうと思ってしまう、陛下そのもののような姿がスクリーンにあり。玉音放送まで繰り返し聞く人がいるほど評判でした。
あの環境を掘り下げ、深く考察して役作りもされたのでしょう。百合子様もご周囲で現実に経験されてたのですよね。ご冥福をお祈りします。
引用:本木雅弘 三笠宮妃百合子さま訃報直後に口にした一言が話題「人間性が出る」「粋な言葉」
本木さんに薬丸裕英さん…元「シブがき隊」は、旧ジャニーズ事務所の中でも飛び抜けて知性や品格を感じさせる。ジャニアイドルは全般的に言える事実として、単なるイケメンでダンスなどの訓練を受けたエンタメのプロ、だけにはとどまらない、教養やボランティア精神などの持ち主は決して少なくないことは付言しておく。
ジャニー喜多川のあの性犯罪行為はもちろん永久に糾弾され続けなければならない極悪非道なものだ。そのため、彼のプラス面を語ることは軽々しくは出来にくく、今もはばかられているのは理解している。
けれども、事実は事実、消し去ることはできない。彼のもとから本木さんのような人格的にも優れた演技人が育ったこと、彼が平和主義を貫いたからジャニアイドルの世界には戦争賛美の風潮は無縁なこと、この二つの事実だけは、ね。
引用:本木雅弘 三笠宮妃百合子さま訃報直後に口にした一言が話題「人間性が出る」「粋な言葉」
皇室内部に居続けた人だからなかなか難しかったろうけど、三笠宮の人となりについてぶっちゃけ話をいろいろ残してほしかったなぁ。もしかしたら一部の学者に死後公表という約束で録音やインタビューを残していたかもしれないけれど。
百合子様の旦那の三笠宮って人は、皇族としてはとっても変わった人だったんだよ。士官学校・陸大を出て戦中は参謀本部勤めの軍人だったんだけど、戦後にいろいろぶっちゃけ話を残していて、けっこう皇室批判もしてる。カッパブックスで有名になった「帝王と墓と民衆 : オリエントのあけぼの」には「わが思い出の記」という自叙伝が付いていて、これがすごく話題になった。
私生活でいろいろ真情を吐露したこともあるだろうから、近代の歴史研究のために百合子様に記録を残してほしかったなぁ。
引用:激動の時代生き抜かれた百合子さまの生涯 彬子さま「毎日リハビリなさっていた」空襲による宮邸全焼も…皇族最高齢の101歳で逝去
101歳での大往生ををお祝いしなくてどうするのか…
私はやはり、101歳まで生きた皇族の方が大往生されたのですから、悲しみにつつまれて終わるお葬式の延長のようなお別れの会というのは相応しくないのではないでしょうか。こういう時は笑いでもって送り出すのが一番いいと思うのですよ。何ならこれをネタにしてのし上がる芸能人でも居れば、なお彼の死に花を添えることができると思います。誰かネタとして披露してくれたりしませんかね?(笑)
それに、これは人生という名の学びの場からの「卒業」なんですよ。祝わなくてどうするんですか?卒業式なのに悲しみばかりでは浮かばれないんじゃないでしょうか?
ということで、卒業式の定番「蛍の光」を流しましょう。ご斉唱お願い致します。
最後までご覧いただき、ありがとうございました!
最後に
こういう記事を書くとキーキー喚く方が毎回のように居ますので言っておきますが、死者に対する名誉棄損罪はその事実が虚偽のものの場合のみ成立します。侮辱罪に関してですが、これはそもそも死者に対しては一切成立しませんw
- 刑法第230条(名誉棄損罪)
- 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
- 死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。
人はいつか死ぬわけで、それがいつかは知りませんが必ずいつかは死にます。三木谷氏のような金持ちでもスーツ氏のような有名人でもそれは変わりません。自分が死んだら、自分をネタに笑って頂いて一向に構わないですよ?死んだらどうせわからないんですから。なので、私は死んだ人間をネタにする事を少しも悪いとは思いませんし、これからもネタにしていきますね。
逆に「人の死をネタにするな!」とキレてる方は何故人の死をネタにしてはいけないかちゃんと論理的に説明できますか?感情的に喚き散らすだけなら小学生でも出来ますからね。ご意見はお問い合わせ欄からどうぞ。