遂にこの時がやってきてしまいました。JR各社の駅構内アナウンスを長年担当していたナレーター・津田英治氏が1/13に死去していたことが明らかになりました。津田英治氏の経歴やネット上の反応はどうだったのでしょうか?
大動脈解離から奇跡の復活も、老いには勝てず
いや~遂にこの時が来てしまいましたね。長年駅構内アナウンスや自動放送などを担当してきたナレーターの津田英治氏ですが、1/13に死去していたことが明らかになりました。正直彼の音声は聞き飽きていましたし、遂に世代交代というのがとても嬉しいです!
津田英治氏の経歴
津田英治氏は、日本の声優・ナレーターとして広く知られ、特に鉄道駅の放送や車内アナウンスでその声を聞いたことがある人も多い人物です。その詳しい経歴を以下にまとめます。
基本情報
- 生年月日: 1948年8月23日
- 出身地: 兵庫県相生市
- 職業: 声優、ナレーター
- 最終所属: オフィスBAN
経歴の詳細
声優・ナレーターとしてのキャリアの始まり
津田氏は1970年代に声優活動を開始しました。テレビ番組のナレーションをはじめ、徐々に多方面で活躍の場を広げました。その後、全国的に展開される鉄道関連の音声アナウンスの分野での活動が大きな注目を集めました。
鉄道アナウンスへの起用
津田氏の落ち着いた声質は鉄道関係者の目に留まり、多くの鉄道事業者で自動放送やアナウンスを担当しました。
- JR東日本(ATOS放送)
- 東京圏輸送管理システム(ATOS)導入駅の自動放送を担当。
- 女性ナレーターの向山佳比子氏とペアで収録され、明瞭かつ安定した音声で利用者からの支持を集めました。
- 2014年11月以降、加齢による声質の変化を理由に、音声が田中一永氏に更新される駅が増えました。
- JR西日本(関西エリアの自動放送)
- 大阪環状線、JRゆめ咲線、大和路線など関西圏の多くの路線で自動放送を担当。
- 関西エリアでも向山佳比子氏とペアで音声を担当しました。
- 利用者にとって親しみやすい音声として多くの支持を得ました。
所属事務所と転身
- かつては大阪テレビタレントビューローに所属していましたが、2018年にオフィスBANに移籍しました。
- 事務所移籍後も引き続き声優業やナレーション業務を継続しました。
晩年と逝去
津田氏は晩年、大動脈解離という重篤な病を患いながらも、治療とリハビリを続けていました。しかし、2025年1月13日に76歳で逝去されました。その声は、鉄道放送を通じて多くの人々の記憶に残り続けています。
評価と影響
津田氏の声は「安心感」「信頼感」を与えると評され、多くの鉄道利用者に愛されました。また、鉄道関連の自動放送を支えるプロフェッショナルとして、その功績は現在でも広く認知されています。
鉄道アナウンスという専門的な分野で長年にわたって活躍した津田氏は、その落ち着いた声で日本中の鉄道利用者に安心感を与え、多くの人々にとって記憶に残る存在でした。
ネット上の反応は?
「車内および駅構内で不審物を発見された場合は、触らず、乗務員または駅係員に御知らせ下さい」地下鉄サリン事件以降、大阪市営地下鉄の車内放送で津田さんがナレーションしていたフレーズです。※2009年に秀平真由美さんが引き継ぎました。
2000年代は「檜舞台」とも言うべきJR東日本の接近放送に抜擢され「間もなく◯番線に各駅停車:◯◯行きが参ります」で一躍有名人になりましたね。
鉄道の案内放送のレジェンドだった津田さん、今はきっと、大先輩の中村健治さんと思い出話を語り合っているのでしょう。偉大な功績に感謝・・・。
引用:ナレーターの津田英治さん死去 76歳 大阪環状線など駅構内アナウンスを多数担当
突然のご訃報に接し、驚きを隠せません。通勤時に良く駅で聞こえてくるので、どこか親近感がある声でした。
関西では沢山の場所で津田さんの声を聞くことができますが、今でも関東で聞ける駅が28駅ほど有るそうです。謹んでご冥福をお祈りいたします。
引用:ナレーターの津田英治さん死去 76歳 大阪環状線など駅構内アナウンスを多数担当
今でも聞ける駅や列車は?
関西方面では割と今でも聞けるようですが、関東で残存しているのは28駅とのこと。死去に伴い更新が行われるかもしれませんので、聞きたい方はお早めに!