先日危篤の報が伝えられていた元ブラジル代表・ペレ氏ですが病魔には勝てず12/29に亡くなりました。今年のカタールワールドカップではアルゼンチンが優勝し、ネイマールがブラジル代表でのゴール数トップタイとなったためまさに今回のペレ氏の死去は世代交代を象徴する様な結末となりました。これまでの経過やネット上の反応はどうだったのでしょうか?
王様ペレ・遂に力尽きる
サッカーの元ブラジル代表で「王様」と称されたペレ氏が亡くなりました。82歳でした。
AP通信によりますと、サッカーの元ブラジル代表で個人として最多の3度のワールドカップ優勝を経験したペレ氏が29日に亡くなりました。82歳でした。ペレ氏は去年から大腸がんの治療を受けていて、先月から入院していた病院によりますと、死因はがんによる多臓器不全だということです。
サッカー界で最も偉大な選手の一人と称されるペレ氏は、現役時代にはブラジルのクラブチームや代表チームのエースとしてファンを魅了し、引退後はユニセフの親善大使を務めるなど活躍の場を広げていました。
引用:【速報】“サッカーの王様”ブラジルのペレ氏が死去 82歳
いや~サッカーの王様も病魔には勝てませんでしたね。サッカーの王様として知られる20世紀最高のサッカー選手・ペレ氏がついにお亡くなりになりました。一体どのような人物なのでしょうか?
最多得点記録を築いたペレ
ペレ氏のサッカー人生は1956年にサントスに入団したことから始まります。当初はリザーブチームやユースチームでトレーニングを積むことになりますが、同年のコリンチャンスとの親善試合でデビューを果たしこの試合で初ゴールを挙げます。
FWのヴァスコンセロスが骨折し戦列を離れたこともありトップチームで出場機会を得るようになると1957年のサンパウロ州選手権では得点王に。正式契約を結ぶと、その翌年のサンパウロ州選手権では38試合に出場し58得点を決め2年連続得点王を獲得します。更にブラジル代表としてワールドカップに出場し初優勝に貢献しました。
1962年には南米のクラブ王者を決めるコパ・リベルタドーレスに出場し決勝に進出。ウルグアイのペニャロールとの対戦になりましたが、ペレの2得点などで勝利しブラジル勢として初のタイトルを獲得。この年のインターコンチネンタルカップでポルトガルのSLベンフィカと対戦し勝利、クラブ世界一に輝きます。この年に行われたワールドカップ・チリ大会では続く第2戦のチェコスロバキア戦で負傷しその後欠場を余儀なくされたもののガリンシャらの活躍もあり大会2連覇を達成。
翌年もコパ・リベルタドーレスに出場してアルゼンチンのボカ・ジュニアーズを下して大会2連覇、インターコンチネンタルカップにおいてもイタリアのACミランを下して2年連続クラブ世界一に輝いています。
サントスFCは国外への遠征ツアーを度々行っていましたが、1969年最初の遠征となったコンゴはコンゴ民主共和国とコンゴ共和国の間で紛争状態になっていました。しかし、何と双方の指導者は試合観戦のために休戦に合意。次の遠征先となったナイジェリアはビアフラ戦争により内戦状態にあったものの、こちらも同国とビアフラ共和国との間で試合前後の48時間は停戦し、ペレらが滞在する首都のラゴスへは侵攻しないとの合意がなされ親善試合が通常通り行われました。如何にペレ氏が偉大だったかがよくわかるエピソードです。
また、同年11/19に行われたCRヴァスコ・ダ・ガマ戦でPKにより通算1000得点を達成。なんと試合中にも関わらず試合が一時中断され記者やレポーターがペレに殺到しコメントを求める事態となりました。その後、ブラジル郵政省からは記念切手が発行され、ブラジル政府は1000得点を達成したペレに勲章を与え翌日を休日とする措置を取っています。
1970年に行われたワールドカップ・メキシコ大会では順調に勝ち進み決勝のイタリア戦も4-1で快勝。3度目のワールドカップ制覇を成し遂げ、ジュール・リメ杯を永久保持する権限が与えられる事となりました。
しかし、やはりペレ氏も人間だったのか?次第に衰えが隠せなくなり、翌年の親善試合・ユーゴスラビア戦で代表を引退。次第に引退後の生活を考えるようになり、大学や企業の招きを受けて講演を行う機会が増加すると学問への意欲が芽生えたのか?試合や練習の合間に勉強を続け、大学入試資格に必要な中等教育課程を修了。大学入学試験にも合格し体育学を専攻しました。
1975年にはニューヨーク・コスモスへ移籍。何とこの移籍の際にアメリカ合衆国国務長官のヘンリー・キッシンジャー氏が「わが国でプレーする事で発展に協力して欲しい」との旨を記した公文書を発行という衝撃的なエピソードがあります。1977年には同チームの北米選手権のタイトルを獲得。ニューヨーク市の名誉市民にも選出されています。この年を以て現役を引退、引退試合のコスモス対サントスFC戦には7万5千人の観衆が詰掛けこの試合でも1ゴールを記録。自らの引退の花道を飾りました。
ネット上の反応は?
今まで王様として知ってはいましたがプレーはなんとなくしか知りませんでした。体調を崩されたと知ってからプレー集などを見ましたが、今と比べてグラウンドの環境やボールの質などは悪かったであろう中であのプレーをやっていたことに衝撃を受けました。ボールをコントロールする技術はさることながら、相手との駆け引きや緩急の使い方など現代にも通用するようなプレーばかりでまさに王様でした。
死とは生物にはみんないつか来てしまうことではありますが残念で仕方ありません。ご冥福をお祈りします。
引用:ペレ氏が死去 82歳 サッカー元ブラジル代表のレジェンド
昨年にがんが発見され、亡くなる直前には危篤説が流れていましたが、どうなるだろうかと思っていたところへのこの度の訃報、残念な気持ちでいっぱいです。
奇しくもワールドカップイヤーということに、「サッカーの王様」と呼ばれたペレ氏とサッカーとの深い因縁を感じます。ブラジルをサッカーの王国にまでした立役者のお一人であり、ブラジル内での国民的英雄であるにとどまらず、そのお人柄ゆえに、サッカーファンのみならず世界中の人からも愛され親しまれていたと思います。
サッカーに貢献した功績は計り知れず、サッカーと言えばペレ、と言っても過言ではないくらいまさにサッカーの申し子でありつづけました。生前の多大なるご活躍に感謝し申し上げ、ここにご冥福をお祈りいたします。
引用:ペレ氏が死去 82歳 サッカー元ブラジル代表のレジェンド
セレソンでペレが打ち立てた代表ゴール数77まで、あと一本のところだった。オリンピック敗退の責任からネイマールが代表引退を示唆したとき、ペレは「私たちを鼓舞し続けてほしい。君が得点するたび、歓喜の拳を宙に突き上げ続けていたい。ピッチで君を見たあらゆる試合でそうしてきたように」とコメントしていた。
共にセレソンの重みを支えたペレからの言葉は、ネイマールにとって本当にかけがえのないものばかりだっただろう。
引用:「ペレはすべてを変え、フットボールをアートに変えた」ネイマールが“王様”の死を受けて思いを綴る
いい加減ペレ氏を、王様、と称するのを止めて下さい。ペレ氏とガリンシャ氏はブラジルでは神様です。
日本ではなぜか白いペレさんが神様扱いですが、マラカナンの英雄さんは、日本プロ野球に例えると原辰徳さんの人気と落合博満さんの実力を兼ねたような偉大な方ではありますが、O Nには及ばない。
一部老舗専門誌を除いて日本のマスコミさんは意図的かアホだからか、ずっとペレ氏を王様と称してます。 セルジオさんだけがずっとそこに異を唱えてましたが、いよいよセルジオさんも諦めの境地に達したのか、最近大人しくなってしまいました。
引用:「ペレはすべてを変え、フットボールをアートに変えた」ネイマールが“王様”の死を受けて思いを綴る
私はペレさんの現役時代の試合を見たことはない。 彼を初めて知ったのは映画『勝利への脱出』
第二次世界大戦の最中、ドイツの捕虜となっていた連合軍兵士とドイツ代表との間で行われることになったサッカーの国際試合と、その背後で進められる脱走計画をテーマにした映画。シルベスター・スタローンが主役だけど、ペレさんも連合軍兵士として出演していて、確か試合中にドイツ側から汚い攻撃をされ負傷する。彼が勝つための切り札なのにどうなるんだろうと思って見ていたら、見事なオーバーヘッドキックでゴールを決める。
サッカーのサの字も知らなかった当時の私はこんなキックがあるのかと目を見張った。凄い身体能力。お手本のようなオーバーヘッドキック。あの映画以来、ペレさんをずっとリスペクトしている。 ご冥福をお祈りします。
引用:ペレ氏が死去 82歳 サッカー元ブラジル代表のレジェンド
ワールドカップイヤーに死去、これも何かの縁か?
しかし、ワールドカップイヤーに、それもブラジル最大のライバル・アルゼンチンが優勝を果たした年に亡くなるとは何かの縁を感じずにはいられませんね。
ネイマールは今大会も活躍を見せ、クロアチア戦でペレの持つブラジル代表最多得点記録(77得点)に並びました。恐らく来年には記録更新されていることでしょう。
ブラジルはクロアチア相手にPK戦で敗れ準々決勝敗退となりましたが、この大会を制したのは…何とアルゼンチンでした。前回優勝国のフランスを相手に3-3からPK戦で勝利し、代表引退を表明していたメッシ氏に最高のプレゼントをすることとなりましたね。この10日後にペレ氏が亡くなったわけで、まさに世代交代と言っていいかもしれません。
まあ、今のサッカーブラジル代表ってお世辞にも強いとは言えませんからね。特に自国開催のワールドカップではドイツに1-7で大敗。ワールドカップ優勝からも20年遠ざかっています。
下手したらサッカーブラジル代表は今後もっと弱体化する可能性も否定できないわけで、惨めな姿を見る羽目になる前にあの世へ行けてペレ氏もある意味幸せだったのではないでしょうか?あの世にもお仲間はたくさんいるでしょうし、マラドーナさんも居るから寂しくはないと思いますよ。
おめでとう!本当におめでとう!あの世でもサッカー楽しんでくださいね!
最後に
こういう記事を書くとキーキー喚く方が居ますので言っておきますが、死者に対する名誉棄損罪はその事実が虚偽のものの場合のみ成立します。
- 刑法第230条(名誉棄損罪)
- 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
- 死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。
侮辱罪に関してですが、これはそもそも死者に対しては一切成立しませんw
人は誰であろうといつか死ぬわけで、そうなったらただの肉塊になって最後は焼かれて骨だけになります。どんな金持ちでも有名人でもそれは変わりません。自分が死んだら、自分をネタに笑って頂いて一向に構わないですよ?死んだらどうせわからないんですから。なので、私は死んだ人間をネタにする事を少しも悪いとは思いませんし、これからもネタにしていきますw
逆に「人の死をネタにするな!」とキレてる方は何故人の死をネタにしてはいけないかちゃんと論理的に説明できますか?感情的に喚き散らすだけなら小学生でも出来ますからね。ご意見はお問い合わせ欄からどうぞ。