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 いや~これがあるからこそのブログですよね。2019年9月から入院していたタイのシリキット王太后ですが、先日長い闘病生活の末遂にお亡くなりになりました。93歳での大往生ですが、果たしてネット上の反応はどうだったのでしょうか?

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シリキット王太后、遂に亡くなる

泰國王太后詩麗吉病逝!支持者淚訴:心都碎了|NOWNEWS #CC字幕

 シリキット王太后(タイのワチラロンコン国王の母)24日夜、首都バンコクの病院で死去、93歳。王室事務局が発表した。12年に体調を崩して以降は公の場に姿を見せる機会はほとんどなく、19年9月から入院していたという。

 王族に生まれ、外交官の父に同行して滞在していたスイスでプミポン前国王(16年死去)と知り合い、50年に結婚。1男3女をもうけた。56年に前国王が伝統に従って出家した際は摂政を務めた。

 タイ赤十字社総裁として福祉活動に尽力。特に貧困対策に力を入れた。イスラム武装勢力によるテロが起きた南部の問題解決にも取り組むなど、前国王を補佐する役割を果たした。誕生日の8月12日はタイでは「母の日」とされている。

引用:シリキット王太后死去 タイ国王の母、93歳

 いや~遂にこの日が来ましたか。長らく闘病生活が続いていたシリキット王太后ですが、10/24夜に亡くなったとのことです。93歳での大往生、お疲れ様でした!

 なお、シリキット王太后の死去に伴いタイ政府がガイドラインを発表しています。

シリキット王太后の経歴

 タイのシリキット王太后(สมเด็จพระนางเจ้าสิริกิติ์ พระบรมราชินีนาถ พระบรมราชชนนีพันปีหลวง, Sirikit Kitiyakara)の経歴は以下の通り。

  • 生年月日と出身: 1932年8月12日、タイのバンコクで、ナッカットモンコン・キティヤーコーン王子(チャンタブリースラナート王子)の娘として誕生。父は外交官でした。
  • 教育: バンコクの学校で初等教育を受けた後、父の外交官としての仕事に伴い、フランス、デンマーク、イギリスなどで学びました。
  • 結婚と王妃時代: スイス留学中に、後にタイ国王となるプーミポン・アドゥンヤデート(ラーマ9世)と出会い、1950年4月28日に結婚しました。ラーマ9世の王妃として、2016年に国王が崩御されるまで在位しました。現国王であるラーマ10世(ワチラロンコン国王)の母です。
  • 摂政: 1956年にラーマ9世が仏教の慣習に従い一時的に出家した際、摂政を務めました。
  • 公的な活動と国民からの敬愛:
    • タイ赤十字社総裁を務め、公衆衛生や人道支援に尽力しました。
    • ラーマ9世とともに地方を精力的に訪問し、貧困地域の支援や農村女性の生活向上を目的とした王室プロジェクトに尽力しました。特に、伝統工芸の振興と雇用創出を目的とする「SUPPORT財団」を設立し、タイシルクなどの伝統工芸品の保護と普及に貢献しました。
    • その国民への献身と温かい人柄から、「国民の母」として広く敬愛されました。
  • 王太后: 2016年のラーマ9世の崩御後、王太后となりました。

 シリキット王太后は、タイの公共生活において長きにわたり中心的な役割を果たし、タイ王室の発展と国民の福祉に多大な貢献をしました。

ネット上の反応は?

 タイのシリキット王太后が亡くなった。93歳という長寿を全うしたが、その人生は一国の近代史そのものだった。王室という華やかな舞台の裏で、国家の不安定さと民の苦難を静かに見つめ続けた存在でもある。外交官の娘として育ち、国王の伴侶として即位を支え、摂政まで務めた彼女の軌跡は、女性が「象徴」としてしか認められにくい社会で、実質的な権威を築いた稀有な例だ。

 それでも王室の「慈善」は、タイの格差を根本から変えるものではなかった。貧困対策や福祉活動の多くは、体制維持のための潤滑油のように機能し、王室への敬意を再生産する仕組みにもなった。だが、その功罪を超えて、国民の多くが彼女を「母」と呼んだ事実は重い。

 権威が形骸化する時代に、少なくとも彼女の存在は人々に“信じたい象徴”を与えていた。タイ王室が今後もそれを保てるかは、息子のワチラロンコン国王の手腕にかかっているというのが、最も不安なところだ。

引用:シリキット王太后死去 タイ国王の母、93歳

 プミポン王と、妃のシリキット妃は本当に国民に尊敬されていた。在位何年の記念品が販売されたり、王様の誕生曜日の黄色のTシャツや王妃の誕生曜日の青のTシャツを着ていた人が多かった。

 それに対して今の国王は国民に尊敬されていない。戴冠後も外国に住み、王妃をコロコロ変え、愛人を軍の要職に就けようとしてたら、国民から反感しか持たれないのも当然だ。

 シリキット妃が亡くなられた事で、国民の王家への尊敬の念は消えたと思う。遠くない未来にタイ王室がなくなる可能性が高くなったと思うよ。

引用:シリキット王太后死去 タイ国王の母、93歳

 タイ王室はいずれ華人系に移行する。タイの人口の9割はタイ族だが、国家を運営しているのは中華系移民だ。政治・経済を華人が支配するタイにおいては「王室」の存在がタイ族にとって最後の砦であった。

 プミポン前国王とシリキット前王妃は「タイ族の王」として国民から敬愛されていた。プミポン国王逝去のあと即位した現国王ラーマ10世も、初めはタイ王室に繋がる家系から妃を娶っていた。しかし3度の離婚を経て、現在の王妃は福建系の華人である。

引用:シリキット王太后死去 タイ国王の母、93歳

 秋篠宮も喪に服すのだろうか?チュラポーン王女は来日中だが帰国したのだろうか?車椅子の不自由な体で来日したのに一切メディアは何故に報道しない?疑問だらけの報道規制。よほど都合が悪いのでしょうか?ご冥福をお祈りします。

引用:タイ国王の母・シリキット王太后死去、93歳 タイ政府は娯楽活動の自粛など要請“禁止はしないが適切に判断を”

彼女の死をお祝いしなくてどうするのか…

 まあ正直、93歳まで生きたのですから十分だと個人的には思いましたね。長い闘病生活から遂に解放されたんですから、これをお祝いしなくてどうするのでしょうか?

 それに、これは人生という名の学びの場からの「卒業」なんですよ。祝わなくてどうするんですか?卒業式なのに悲しみばかりでは浮かばれないんじゃないでしょうか?ということで、卒業式の定番「蛍の光」を流しましょう。ご斉唱お願い致します。

 最後までご覧いただき、ありがとうございました!

最後に

 こういう記事を書くとキーキー喚く方が毎回のように居ますので言っておきますが、死者に対する名誉棄損罪はその事実が虚偽のものの場合のみ成立します。侮辱罪に関してですが、これはそもそも死者に対しては一切成立しませんw

  • 刑法第230条(名誉棄損罪)
    • 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
    • 死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。

 人はいつか死ぬわけで、それがいつかは知りませんが必ずいつかは死にます。どんな金持ちでも有名人でもそれは変わりません。自分が死んだら、自分をネタに笑って頂いて一向に構わないですよ?死んだらどうせわからないんですから。なので、私は死んだ人間をネタにする事を少しも悪いとは思いませんし、人々が知りたいと思う情報を届けるのがメディアなのですから読者・視聴者の欲求に応えるためにこれからもネタにしていきますw

 逆に「人の死をネタにするな!」とキレてる方は何故人の死をネタにしてはいけないかちゃんと論理的に説明できますか?感情的に喚き散らすだけなら小学生でも出来ますからね。ご意見はお問い合わせ欄からどうぞ。